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インプラント 大阪のヒントを探る

旧、それなら、一八年間もサタンに縛られていた、アブラ八ムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」W、こう言われたので、イエスに反対していた人たちはみな恥じ入った。 そして群衆はこぞって、イエスがなされたすべてのすばらしいみわざを見て喜んだ。

M、ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った。 「働くべき日は六日(むいか)ある。
その間に、なおしてもらいにきなさい。 安息日にはいけそもそもシナイ山に現れたヤーヴェは、なぜ安息日などというものを十戒に含めたのであろう。
それは労働に明け暮れる民衆の心と身体を少しでも和らげるためであり、それ以上の意味はなかったのではないだろうか。 律法学者たちにはその意味と目的が理解できず、ただ単に、「大事な訓戒だから守らねばならない」と、その遵守に固執した。
彼らにとってはイエスは十戒を犯す犯罪人としか見えなかった。 そのため彼は、傑台の露と消えることとなる。
しかし、イエスにとって安息日は民衆を苛酷な労働から少しでも解放するための手段にすぎず、一八年間も病に苦しんでいた女が助けを求めてくれば、安息日であろうがなかろうが、助けてやるのが当たり前だったのである。 彼には、訓戒をその真の意味を損なわずに柔軟に起用することが可能で、その意味ではまさに宗教家として理想的なトータル・バランサーであった。
対する律法家たちは、安息日の本来の意味を見失い、苦しむ人々を救うことよりも安息日を守ることのほうが大事であると本気で考えており、彼らは宗教における近視眼的リミッターであったと言えよう。 仏陀の教えである仏教においてもバランスの概念がうまく取り入れられている。
以下に仏陀の言葉を収めた「仏教聖典』より、重要部分を抜粋引用してみたい。 道を修めるものにとって避けなければならない二つの偏った生活がある。
その一は、欲に負けて、欲にふける卑しい生活であり、その二は、いたずらに自分の心身を貴めさいなむ苦行の生活である。 この二つの偏った生活を離れて、心眼を開き、智恵を進め、さとりに導く中道の生活がある。

この中道の生活とは何であるか。 正しい見方、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい記憶、正しい心の統一、この八つの正しい道である。
すべてのものは縁によって生滅するものであるから、有と無とを離れている。 愚かな者は、あるいは有と見、あるいは無と見るが、正しい智恵の見るところは、有と無とを離れている。
これが中道の正しい見方である。 一本の材木が、大きな河を流れているとする。
その材木が、左右の岸に近づかず、中流にも沈まず、陸にも上らず、人にも取られず、渦にも巻き込まれず、内から腐ることもなければ、その材木はついに海に流れ入るであろう。 この材木のたとえのように、内にも外にもとらわれず、有にも無にもとらわれず、正にも邪にもとらわれず、迷いを離れ、さとりにこだわらず、中流に身をまかせるのが、道を修めるもの優れた宗教家、思想家によって、すでにトータル・バランスの本質は語り尽くされているのかもしれない。
道を修める生活にとって大事なことは、両極端にとらわれず、常に中道を歩むことである。 仏陀はこのように、偏った道はたとえ禁欲的であっても誤った道であると説いている。
苦行に走るのは、今まで述べてきた意志の強いリミッターそのものであり、耽溺の道もまた意志の弱いリミッターの特徴にぴったりとあてはまる。 こうして見てくると、イエスも仏陀も、形式にとらわれず、物事の本質を見抜き、その目的にかなう行動をトータルでバランスをとりながら、決して偏ることなく行っていくことこそ、真理を体現した正しい生活であるという点で、共通した概念をその思想に含んで「人生」におけるトータル・バランスの意義について考えてきたが、最後に時間というものに触れておきたい。

時間はすべての社会生活の基本であり、ともすると創造主が作りたもうた絶対的価値と捉えがちである。 しかし、時間ほど人為的なものはない。
時間を絶対と捉えるリミッターはとかくストレスがたまりやすい。 日本人は、なぜこれほどまでに一分、一秒にこだわるのであろうか。
その驚くほどの民族的習性は、公共輸送機関の時刻の正確さを見ても明らかである。 しかし時間が人為的なもので、神が創り給いし絶対的価値ではないことは、飛行機で日付変更線を越えたときや、大晦日の衛星放送に登場し一時間おきに「ハッピー・ニューイャー!」を叫んでいる世界の人を見たときなどに実感される。
二一世紀のキーワードは「バランス」。 ここで時間に鷹揚なアラスカ・エスキモーの話をしたい。
一九九一年五月、医師国家試験が終わって入局までのしばらくの間、同窓生は皆"卒業旅行″と称して世界じゅうへ出かけていったが、私はまだまだ寒い"アラスカ"へ一人旅をした。 目的地としてアラスカを選んだ理由は特になかった。
強いて言えば、「とにかく徹底的に寒い所」へ行きたかったのだ。 アンカレッジで一泊し、アメリカ国内線の飛行機に乗り、北極海沿岸で北米最北端のバローというエスキモーの村に一泊した。
オーロラは見られなかったが、凍りついた北極海はブルーに光り、水平線ならぬ氷平線は神秘的な美しさであった。 沖合いの氷上には、肉眼ではどう見ても尺取虫にしか見えない生物がおり、双眼鏡で見るとそれはうごめくアザラシであった。
五月の北極海は気温刑℃前後であるが、そろそろ初夏に入りつつあり、一日のうち約二○時間ほどが白夜のために白なとしていた。 極北の地に住むエスキモーたちは、何となく日本人に似ているせいか、厳しい自然環境にもかかわらず、皆どことなくユーモラスである。
案内してくれたエスキモーの男性は、日本のどこにでもいるおじさん顔で、私が「鯨を食べる」というと大喜びして、顔をしかめる白人のウェイトレスなどに、「こいつも鯨食うんだってよ」というような意味の言葉を英語で吹聴してまわり、困った。 エスキモーたちは何事につけのんびりしているが、特に感じたのは、時間に対する鷹揚彼らのなかには時計を持っているものもいるが、季節により昼と夜の長さが大きく変化するせいか、時間という観念はさほど強くないようである。
その証拠に、日本で言う『丑三つ時」でさえ外はまだ明るく、買い物に(?)出かけようとウロウロしている親子を何度も見かけたものだ。 彼らにとって夜=闇ではないのだから、夜中にウロウロしていることが、当然と言えば当然かもしれない。

日本に帰って医師となり、時間に追われる忙しい毎日のなかで、時々ふっとエスキモーたちののんびりした姿を思い出すことがある。 日本においては彼らのようにアバウトに振る舞うことはまず不可能であるが、時には彼らを見習って時間を忘れる機会を持ちたいと思う今日このごろである。
時間はこのように人為的な目安にすぎず、絶対のリミットと捉えうるものでなく、トータルのバランスで対処することが十分可能なものであることを、ストレスと無縁なエスキモーたちは身をもって示してくれたような気がする。 思えば戦後の日本を支えてきたのは、時間に追われた仕事人間と呼ばれる意志の強いリミッターたちであった。


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